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  • 執筆者の写真MIho Kasuga

辻和良氏「「末摘花」という視点―根源からの揺さぶり―」

辻先生より拝受いたしました。ありがとうございます。

「古代文学研究第二次」第28号(2019年10月)所収の御論です。


辻先生のおっしゃる、「物語内に末摘花が、光源氏基準ではない新たな価値基準を提示している」ということは本当に重要だなと改めて思いました。そして、それは、光源氏にとって「否定しきれない行動規範」である一方で、光源氏がそれを理解できない、ということがとても大切なのだと思います。


以前、「『源氏物語』「朝顔」巻の光源氏」(「文学・語学」2015年12月)で「朝顔」巻における光源氏の女五の宮への違和感を始発として論じたことがあります。光源氏は皇族たちの美意識(それは必ずしも物語のなかで肯定的に描かれているわけではありませんが)を理解できない、ということが物語のなかで刻み込まれており、そうした点で、やはり光源氏の臣籍降下は非常に重い意味があったのだろうと考えています。


末摘花が、光源氏にとって「否定しきれない行動規範」、それにもとづく様々なことを持ち込むことで光源氏を揺さぶっていくという御論のご主旨に深く納得させられました。


*****

さて、初年次文章表現教育においての「」の使い方として、表題の付け方は「間違って」います。「『末摘花』という視点」とすべき、ということです。ちなみに、雑誌名の出典の示し方が「」なのも「間違って」います。

でも論文においては習慣的にこのように「」を使ってきました。どこかで修正すべきなのか、修正する必要がないのか、、考えてしまいます。



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