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  • 執筆者の写真MIho Kasuga

本日の論文

だい 

レポートの採点などで少し間があいてしまいました。

本日は届いたばかりの「日本文学」第70巻第12号から。

今井久代氏「古語「いとほし」について―恥ずかしい自分を見つめる目―」を読みました。

筆者には既に「青表紙本系『源氏物語』の全386例」を調査された先行研究があり、それをさらに発展されたものとなります。


形容詞の扱いは難しい、と思ってしまいます。

筆者も「いとほし」について述べられるように、「最後は論者の感覚に左右される」という気がしてしまうからです。しかし、筆者は用例を丹念に調査され、感覚に左右されるものではないことを明らかにされています。


最後の現代語「イタい」との検証も大変興味深かったです。


個人的には「エモい」という言葉が普及したとき、ついに「あはれ」の概念を表す現代語(?)ができた!と思ったのですが、こうした古語と現代語との出会い、つながりにはとても興味があります。


筆者の見解は「現代語ではどうにもぴったりする語が見つからない」ということであり、そこに現代と古代の恥意識の違いを見出されています。


丹念に本文を向き合うことを改めて考えさせられる1本です。

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