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執筆者の写真MIho Kasuga

本日の論文

三日坊主で終わるところでしたが、なんとか戻して本日読んだ論文2本。

「文学・語学」第231号「特別寄稿 文学にみる災厄と生きる力」として掲載された、

①木村朗子氏「災厄の時代にとってうたとはなにか」

②河添房江氏「『源氏物語』と王朝の疾病―薄雲巻の「世の中騒がし」を中心に―」

です。


木村氏の論は、コロナ禍のなかでのうた(短歌)のことから東日本大震災以後のうた(短歌)の問題を論じたものです。

導入部分の学生たちが短歌を詠むことで、「古代人とおなじ営みをしている感覚が得られ」、「自らの思いを吐き出すきっかけ」をつかんだという話は考えさせられるものがありました。

授業をしていると彼らは柔軟に古代の人々へ思いをはせることができるのだなと思います。それが「短歌」という同じツールを得ることでさらに深まること、そしてコロナ禍の大きな影響を受けた大学生の思いの表出につながったことは希望につながるものだなと思いました。

そして引用される震災後の歌について、恥ずかしながら私はまったく知りませんでしたが、引用で読むだけでも涙が出てくるものもあり、うた(短歌)の可能性をはからずも考えさせるものでした。


NHK『おかえりモネ』が震災後を正面から描いた作品として大きな話題となりました。

震災から10年たち、小説、短歌、俳句、ドラマ…様々な媒体で震災が語られています。

災厄をどう表出するのか、どう受け止めるのか、現在進行形の問題であることを私も常に考えていきたいと思いました。


②は、拙論が引用されていることもあり、非常に考えさせられました。

もちろん私の勉強が不足していることは前提なのですが、一方で、コロナ禍とあわせてみたとき用例に違った意味がみえてくる、あるいは今までつながらなかった、気づかなかった事象がみえてくるということは、古典文学研究のあやうさとおもしろさの両面を浮かび上がらせているといえます。作品を読むとき現代の事象が関わことは、すなわち、古典文学研究が現代との接点を持っていることの表れです。古典が古典のなかだけに閉じられたものではないことを示し、その研究の意義が立ち現れてくるともいえるように思います。


いずれも、文学の意義を改めて見出す、勇気をいただくものでした。


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